三人で歩きだして幾許か。
 尽きない会話も花が咲き、いつしか荒風も小さくなっていた。
 歩いていた砂利混じりの畦道も舗装された道路となり、気づけば目の前は車の往来する比較的大きな通りにぶつかった。
 歩道には人の往来もあり、少女達と同様の格好に各々コートやジャケットを羽織っている学生の姿も見受けられる。
 少女達はすぐ近くに架かる歩道橋へ足をかけ、
「お、きたきた」
 後ろを振り返ると、足早にこちらへ向かってくる姿。
 階段を登り切る直前に少年が階下に着き、一歩踏み出して少女達を見上げる。
 歩道橋の側面は等間隔にはまった鉄の縦格子で、隙間から吹き抜ける風は階上の衣服を翻す。
 登り切ったところで振り返り、駆け上がってくる少年を見つけて顔を綻ばせる少女達に、
「・・・!」
 手を上げて右に振ること二度、いくらか怒りの表情の少年。
「ん?」
「・・・先に行けってことじゃないかしら」
「そう?」
 その言葉に、ゆっくりと歩き出す三人。
 すると一つ飛ばしに駆け上がってきた少年が追いつき、
「おまえら・・・階段の上で待つなって・・・」
 少し息のあがった調子で不平を口にする。
「なんで?折角待ってあげてたのに」
 反対に口を尖らす千華。
「なんでって・・・なんでもだよ」
 言葉を濁し、三人に先んじて歩道橋の胴体を歩いてゆく。
「なんでもじゃわからないって。・・・ねぇ妃?」
「・・・わかったわ」
「え?」
「でもそれなら月理、あなたがちゃんと私達のすぐ後ろにいてくれないと」
「・・・わかってるよ」
 階段の下りに差し掛かり、足並みを揃えるように手に届く距離を保ちながら降りてゆく。
「そうだ・・・おにいちゃん」
「ん?」
「昨日で試験終わりだったんでしょ?昨日の出来はどうだったの?」
「あー・・・」
「大丈夫だよゆいちゃん」
「そうなの?」
「もうバッチリ!ね、藤宮月理君?」
「なんで千華が答えるんだよ・・・しかもフルネームなのは何なんだ」
 嘆息し、呆れ気味の少年、藤宮月理は、
「まぁまぁだよ。今回は勉強したからな」
 言葉を返して階段を下りきり、
「おっはよーつっきりーん!」
「うわっ」
 襲いかかるように片腕に巻き付いた柔らかな感触に驚き、その相手を見て再び嘆息する。
「なんだ天梨か」
「あっ、なんだとは失礼な。折角歩道橋の陰から隙を窺ってたのに・・・あ、おはよう!千華に妃にゆいちゃん」
 すぐに月理から手を離すと後ろを振り返って挨拶する。
「おっはよー天梨」
「おはようー」
「おはよう・・・そんなことしてるからなんだなんて言われるのよ」
 三様に挨拶を返しながら、淡々と指摘する妃。
「くっはー!相変わらず手厳しいねぇ妃は」
 笑顔で目を瞑って天を仰ぎ、額に手を打ち付ける。
「そうやって月理君をからかうからよ、あーちゃん。みなさん、おはようございます」
 たおやかに会釈をして手元のハンカチを月理に差し出す少女。
「・・・?おれに?」
「ええ、月理君のコート汚れちゃいましたから」
 月理がささっと自身の姿を確認すると、左身の袖口に木屑や枯れ葉がまとわりついている。
「なんだこりゃ?あ、いいよ詩羽。手で払っちゃうから」
「いいえいけません」
 更に近づいてハンカチを広げ、
「さっきあーちゃんが隠れる時にくっついていた木のものでしょうね」
 そっと押し拾うように付着物を取り除いていく。
「何かばい菌がついてはいけませんから」
 月理は恥ずかしそうにそっぽを向き、しかし拒否することなく身を委ねている。
「なぬ?・・・ありゃー」
 自身をきょろりと見回し、木片がついた胸元と袖口に、
「しーちゃん、わたしもー」
「あーちゃんは自分で払いなさい」
 あくまでも柔和にぴしゃりと言い放つ。
「えー、あたしも何か菌ついたら大変だよ!」
「あーちゃんは大丈夫です」
「手厳しっ!?・・・しくしく」
 泣き真似をしながらコートのポケットからハンカチを取り出し、胸元をぱっぱっと払ってゆく。
「・・・はい、これでほとんど取れましたよ」
 木片に接した面を内側に折り込み、斜めに肩掛けていた鞄へしまい込む。
「・・・ありがと」
 照れくさいようにはにかんだ月理に、
「あまえんなーつっきー」
「そうだそうだーあまえるなつっきー」
 やいやいとつつく木片少女と千華。
「・・・やっかみね・・・いきましょ」
 嘆息交じりに先を促す妃。
 すると少女達はゆっくりと、疎らながらに周囲が一様に向かっている方角へ進み始める。
「えー冷たい妃ー。月理は甘えすぎだと思わないのかー」
「・・・別に。詩羽があやすのはいつもの事でしょう」
「あやされてないっ」
「詩羽ちゃん、優しいもんねー」
 月理が反論し、唯理が持ち上げる。
「あら嬉しいわ、ありがとう唯理ちゃん。今日の髪留めも素敵よ」
「あ、わかった?えへへー、今日おろした子なんだー」
 すぐ前を歩いていた月理は歩きながら振り返り、
「そいつ売り物じゃなかったっけ?」
「うんー。何か見てたら愛着わいちゃって・・・へへー」
「まぁいいけど・・・それ、ホーラン?」
「ううん、アメファジー。フロスティの子探すの苦労したんだよー」
「最近は珍しくないんじゃないか?それよりスクワレルが格好いいだろ」
「うーん、ライラックも捨てがたいけど・・・」
 兄妹の会話に千華が振り返り、
「・・・救われる?」
「ナンジ、左腕を差し出せ」
 言いながら月理の左腕に抱きつく木片少女。
「なるほど。・・・サスレバ、右腕も差し出せ」
 と、右腕に抱きつく千華。
「おい・・・意味がわからん」
「だって救いを求めたじゃん」
「そうだよ救済だよ、ナンジクイアラタメン」
「アホか、色だよ色。カラーの話だっつーの」
 歩きながら振りほどこうと身を捩るが叶わず、
「ほら離れろって。そろそろ人も増えてくるだろ」
『キニシナイ』
 ハモらせる少女達。
「気にしろって・・・ほら、もう重いから」
「重くないっ」
「重くないよっ」
 微妙にハモりを逃がした二人の声は非難高く、
「・・・重いのよあなた達は。いいの、千華?あなた確か・・・」
「うわー!わわー!」
 即座に腕から手を離し、何もない頭上の雲を霧散させるように手をばたつかせながら妃に近寄っていく千華。
「あら、あーちゃんも確か・・・」
「ノー!ノーセンキューですよしーちゃん!!」
 こちらも手を離し、柔和に微笑む少女に突進していく木片少女。
「・・・ふう。さんきゅ、妃に詩羽」
「・・・別に」
「いえいえ」
 そうして月理を先頭に進んでいく中、右側に続いていた灰塀が途絶え、重厚な漆黒の柵が現れる。
 柵は大きく開かれていて、中は石畳が真っすぐ続き、奥には白灰色の校舎が佇んでいる。
 すると唯理は小さく形作っていた六人の輪から外れ、柵の方へと踏みだし、
「それじゃ、またあとでねー」
 袖先を指で抱えてパタパタと振る。
「うん、まったねー」
「あ、千華ちゃん。お昼は一緒するよね?」
「するよん。ゆいちゃんの方が早いだろうから、先帰っててもいいよ」
「ううん、待ってる。帰る頃に教えてね」
 ポケットから出した携帯端末を小さく振る。
「はいはーい」
「しっかりな」
 先んじていた月理が振り返りながら呟くと、
「うん。おにいちゃんもしっかりね」
「はいはい」
「はい、は一回だよー」
「・・・はい」
「はいっ、つっきー怒られたー」
 校舎へ吸い込まれていく少年少女達にも聞こえたのか、小さく笑う声が聞こえる。
「・・・うっさい。行くぞ」
 ぶすっとした表情でポケットに手を突っ込んだ月理が一歩踏みだし、
「・・・月理、品が無いわ。それやめて」
 同じく歩き出した妃にぴしゃりと釘を刺される。
「・・・・・・」
 立て続けの注意に閉口し、やや苦渋の表情を浮かべながら、素直に両手をポケットから出す。
「・・・それと」
 ゆっくりとした動作ですっと近づいてきた妃は、
「背筋・・・伸ばして。あと顎上げすぎよ」
 背中に右手を、口元に左手を持って行き、月理の姿勢を正していく。
 既に歩きながらのため唯理からは見えなくなっているが、依然同方向に向かう少年少女が多い道すがら。
「うひゃー妃、スッパルター」
「これはキツいでしょ・・・妃!そのくらいにしておきなー」
「・・・ん、これでいいか?」
「・・・うん、いいわ」
 先の憮然とした態度が嘘のように、すぐに姿勢を正して妃と話を合わせる。
「・・・え?」
 千華が戸惑うように声を上げ、すぐに
「あ、あはは。妃すごいなー月理の調教師になれるよ」
 笑いを張り付かせて茶々を入れる。
「なに、それ?・・・月理はちゃんとしてれば格好いいのだから、それ相応の努力をさせてるだけよ」
「あら、そうですわねー。確かに月理君格好いいですものねぇ」
 柔和な少女が妃の言葉に重ね、月理を持ち上げる。
 千華は笑いを張り付かせたまま歩むのみ。
「おー言うねー妃」
 木片少女は挑発するような声色で妃の隣に並び、
「確かにつっきーはこの前の文化祭でミスターコンで八位に入ったけど、そんなに格好いいかなぁ?」
「当たり前ね」
「即答っ!?うぐっなかなかやるわね」
「・・・それだけじゃないわ」
「ん?」
 木片少女は首を傾げる。
「・・・ミスコンの方、詩羽は三位で千華は四位。天梨だって七位に入っているじゃない」
「う、うん。そだね・・・あれ?じゃあなに?私達も・・・?」
「・・・ええ、あなた達も可愛いわ」
 妃は振り返り、周りの聞き耳も承知した上でのように、
「私の自慢よ」
 言い放つ。
『・・・・・・』
 歩きながら個々に妃を見ていた面々は、恥ずかしそうに顔を綻ばせ、
「でたね、妃の天然語録」
「うん、でたね、、、いやー恥ずかしい!けど・・・」
「はい、とっても嬉しいものですね」
 四人ではにかんだ笑顔を浮かべながら、自然と妃の近くに寄っていく。
「妃、、、ありがとね」
 腕に絡んだ千華は、先ほどまでの張り付いた笑顔から、心底の笑顔で言葉を紡ぐ。
「・・・別に、本当の事だから」
 前をみて、飄々と受け取る妃。
 すると進行方向に広がる濃茶色の建物。
 先ほど唯理が向かった校舎と同程度の大きさで、大型の車がすれ違える程度の幅員を持つ道路を遮る様に鎮座している。
 道路は建物の前で左周りのロータリーとなり、そこが突き当たりであることを示している。
 その建物の手前には背の高い鉄柵が聳えているが、端に追いやられて本来の門としての役目を放棄しているように見える。
門に向かって左端にある箱型の詰め所には人気もなく、開門と閉門の時刻が書かれたくすんだ木板が立てかけられている。
 皆同様の制服に各々好きなコートを羽織った人々がその門へと吸い込まれていく。
 少女達も倣うように門をくぐり、校舎へと真っ直ぐに向かう。
「あれ?今日体育ってあったっけ?」
「二限目に合同であったよね?」
「ありますわ、二限目に。あーちゃん、着替え持ってきています?」
「うん、どうせ部活あるからねー」
 ぶんぶんと腕を振り回す木片少女。
「・・・あまり暴れないで、木片少女さん」
「もくへんしょうじょ?・・・ってあたしのこと?」
 コクリと頷く妃。
「む、失敬な!あたしには綿楯野天梨という立派な名前があるのだよ」
 エヘンと胸を張る少女、綿楯野天梨は、
「あまりんって呼んでいいんだよ、妃?」
 妃の顔を覗きこみながら言い、少し顔を引いた妃は、
「・・・ラクロス部の余り、ってことかしら」
「?まぁラクロス部に天梨あり!とはよく言われるけど」
 ぺにょっと首を傾げてハテナマークの天梨。
「アクセントが違うのだけれど・・・まぁいいわ」
 言いながら靴を脱ぎ、すのこに乗るとしゃがみ込んで靴を持つ。
 天梨は片足を後ろにあげると手で靴を引っかけて脱ぎ、すのこに着地する。
「あーちゃん、お行儀が悪いですよ」
「はーいはい」
「・・・はい、は一回じゃなかったかしら」
「うひゃー、きーちゃん手厳しー」
「・・・誰かしら、それ」
「よくない?きーちゃ・・・」
「よくない」
 ビシッと言い放つと連なった下駄箱に近づき、差し入れた靴の下から白地のスニーカーを取り出して床に置く。
「あだ名命名失敗だね、天梨ちゃん」
 千華はトトンとつま先を床に弾かせながら、
「にしてもやっぱり不思議だよねー」
「?なにがでしょうか?」
「下駄箱。男女別々なのうちくらいじゃないかなー」
「あらー、そういえば中学の頃は同じだったような」
「そんなの決まってるじゃーん」
「あら、なぜかしらあーちゃん?」
 自身のスカートを軽く摘むと、
「見えちゃうじゃん」
「・・・・・・」
 天梨の後ろを小さな嘆息を漏らしながら通る面々。
「えぇーなんでよー。絶対そうじゃん」
 ぶぃぶぃと鳴きながら後を追いながら、
「そうは思いませんこと、月理さん?」
 下駄箱の切れ目で合流した月理に敬語で問いかける天梨。
「・・・そうかな」
 小さく呟くと、今まで一緒に歩いてきた少女達から距離を置くように先を歩いていく。
「んまっ。聞きまして妃さん?」
「聞いてなかっただけでしょう。・・・それよりもう校内よ、天梨」
「へぇへぇ。・・・ちぇー。変なルール作っちゃってさー」
「・・・・・・」
 無言で、先を行く月理を眺める千華。
 周りは次々と見知った者同士で賑やいでいく中、喧騒が遠く聞こえ、どこか迷い込むように景色が揺らぐ。
「・・・千華」
 ハッとして、
「ん、・・・どうしたの、妃?」
「・・・それはこちらの台詞でしょう。・・・まぁいいわ」
 ついと先んじるように一歩前に出る。
「そういえば、今日は唯理ちゃんとお昼一緒するのですか?」
「うん、そだよー」
 即座に答えて、
「ゆいちゃんの仕入れ鑑評会するんだよー」
「・・・それを言うなら品評会でしょう」
「・・・あ、そっか」
「あら、楽しそうですわね」
「いいないいなー」
「・・・二人とも部活再開したのでしょう。仕方ないわ」
「そーだけどさぁ・・・むぅー」
 ぱっつりとむくれた天梨は、すぐに表情を変え、
「そだ!いっそ品評会を学校でやったら・・・」
『却下』
 即座に、強度としなやかさの異なる拒否が天梨を突き刺す。
「うぐぅ!・・・むーん、仕方ないかー」
 意外にも割とすぐにさばけて、その様子に誰も動じない。
「じゃあ会は三人でやるの?」
「・・・いいえ、月理もよ」
「え・・・無理じゃない?学校の月理、あんなんだよ?」
 少し先が随分と先に、月理は顔見知りの男子と談笑まじりに笑顔を見せている。
「・・・いいのよ、月理はあれで」
「そうですわね。いつまでも気にしてるとあーちゃんみたいになっちゃいますわね」
 ふふっと含み笑いする柔和な少女に天梨がいつもの文句を言いかけて、
「あら、おはよう三千花さん」
 はっきりと、しかし嫌味の感じない絶妙な強弱加減で話しかけてくる少女が一人。
 振り返った少女、三千花詩羽は、
「あら鯨井さん。おはようございます」
 あくまでたおやかに会釈を返す。
「おー、ちゅんちゅん!おっはー」
「おはよう綿楯野さん。今日もNGワード全開でありがとう☆」
「お、おぉぅ、、、☆入っちゃったよ・・・」
「それはあーちゃんが悪いですわ。鯨井さん、そのあだ名好きではないんですから」
 それでも顔色をかえない少女は周りにも目を向け、
「おはよう、三千花さんに雪下さんに姫王子さん。今日も元気?」
 眩しい笑顔を見せる。
「おはよう、鯨井さん」
「・・・・・・」
「・・・地味ーにあたし抜けてるんだけど・・・」
 自身を指さしてゆらゆら揺れる天梨。
「・・・ぷっ。あははっ、嘘よ嘘。怒ってないわよ、おはよう綿楯野さんも、ねっ!」
「うぎっ」
 バンっと天梨の背を叩く少女は朗らかで、周りを行き来していた学生達まで嘲笑とは違った笑みを見せている。
「ぐふぅ、相変わらず豪快だなぁ雀ちゃんはー」
 雀と呼ばれた少女、鯨井雀はグッと腕を曲げて、
「それがわたしだからね」
 そのまま手を振りながら先へ進んでいってしまう。
 一緒について行く者も無く一人で、しかし道すがらほぼ全ての学生から挨拶されているその姿に、
「相変わらず人気者ですわね、鯨井さんは」
「そだねー」
「・・・・・・」
「千華も同じ酒屋の娘としては負けてられないんじゃないの?」
「そんなことないよ。私のところと鯨井さんのところじゃそもそも規模が違うし・・・比べるなんて、ねぇ」
 千華はちらりと横を見るが、妃はゆっくり歩きながらも前を見据えたまま。
「そっかー。まぁむしろ酒屋の娘同士仲良くなっちゃうくらいかもねー」
「・・・酒屋じゃなくて酒蔵よ」
 妃の視線の先では、月理も含めた男子が談笑する中に雀が手を挙げて入っていき、なにやら会話をしている。
 視線を追った天梨は、
「うーむ、幼なじみはダメで、普通のクラスメイトはオッケーなのか・・・わっかんないなぁ」
「・・・月理の決めたことだから」
 男子の集まっているところでは雀が高らかに笑い、月理をバシバシと叩いている。
「妃は達観してるなぁ・・・っておわっ!?」
 天梨はビックリして後ずさる。
「妃、顔こわっ!全然達観してないし!」
 今まで無表情に見えていたそれは、まるで全てを呪い殺すかのような厳しい視線と険しい表情に変わっている。
「まぁまぁ。妃ちゃんは月理ちゃんが気になるだけですから」
「そそ。妃は月理が大好きだからねー」
 目を瞑り、心情を慮るように言葉を紡ぐ千華。
「・・・・・・」
 すると先に向けていた視線を千華に変えて、
「・・・あなたもね」
「え?」
 立ち止まりそうな全身の痙攣に、しかしそれは一瞬で、踏み出した足は道をしっかりと捕らえている。

 キーンコーンカーンコーン

「あら、予鈴ですわ。それでは皆さん」
「そだねー」
 千華と妃は立ち止まり、天梨と詩羽は緩やかに進んでいた足を早める。
「んじゃ、またねー」
「・・・・・・」
 手を振り、目の前の扉に手をかけて横に滑らせる。
 中には整然と並んだ机と、思い思いに生徒が座って方向のバラバラな椅子。
「あ、千華ちゃん。おっはー。妃ちゃんも」
「千華、妃、おはようなのだ」
「おっはよう、みかりんに美緒ちゃん」
「・・・おはよう」
 挨拶を交わし、最後尾かつ窓際の席に肩掛けていた荷物を置く。
 その隣には妃が同様にして、椅子をひく。
 まだ本鈴の鳴らない僅かな時間、時間を惜しむようにさえずる声がそこかしこから聞こえてくる。
 席についた二人。
 互いに会話も無く、各々鞄から取り出した書籍に目を通している。
 よく見ると目を通しているのは妃で、千華は書籍をめくらずにじっと眺め、座ったまま立ち竦んでいるようだ。
 しかも、
「・・・ねぇねぇ千華ちゃん」
 先程挨拶を交わした少女がやってきて、
「ん?どしたのみかりん?」
「本・・・逆さだよ?」
「・・・あっ」
 取り繕うように急ぐのではなく、まるで気づいていたと言わんばかりにゆっくりと上下を戻し、
「あははー、ボケるには人が少なかったかなぁ」
 少しひきつった笑いをあくまで朗らかに出す。
「そうだよ、妃ちゃんはあんまりつっこんだりしないんだから、わかりやすくボケないとー」
「・・・・・・」
 パタンと書籍を閉じ、会話している二人を見やる。
「な、なに妃?」
「・・・別に。もう本鈴よ」
 すると予鈴と同様のチャイムが聞こえ、さえずっていた生徒達は散り散りに己の机へと戻っていく。
「じゃあねー」
 話しかけていた少女が席に戻り、立ち歩く者は無く、近隣同士でひそひそと話す声だけになる。
 そこに遠く壁の向こうから、コツコツと整ったノック音と共にバサバサと紙の擦れる音が大きくなってくる。
 教室内ではそれが聞こえているのだろう、さえずる声は一層大きく、内容は悲観的なものが多い。
 やがて壁向こうから聞こえていた音が教室側で止み、引き戸がゆっくりと開く。
 開けた本人はそのまま教室前方中央まで歩き、ひざ高半分くらいの壇上に上がる。
 膝下までくる白衣に、中から覗く白いシャツとグレーのセーター。
「みんなおはよう。早速だけど」
 脇に抱えていた白紙の束を壇上の机に置き、
「私の教科の答案を返します。名前を呼ばれたら取りに来て下さい」
 一斉に鳴り響く不平不満のブーイング。
「はいはい静かにー。ホームルームの伝達事項は少ないですし、次の私の授業は自習でいいですから」
 その言葉が終わるを待たず、歓喜のさざ波が教室全体を揺らす。
 その歓声が緩むと、
「それでは配りますね。有原さん」
 白衣の教師は淡々と受け渡しを始める。
 しかし手渡す時、生徒に必ず一言添えている。
 代わる代わる受け取りに行く様を見て、
「あー、化学は微妙だったかなー」
 机に突っ伏して顔だけ妃の方へ向ける。
「・・・理系進むんじゃなかったかしら」
「うー、そうなんだけど・・・うーん」
「文転する?」
「しない!」
「そう・・・」
「えー、姫王子さん」
「・・・・・・」
 妃が静かに席を立ち、教壇へ向かう。
 教壇で折り畳まれた用紙を受け取りながら、一言、何かしら言葉を紡ぐ教師に頷き、踵を返して戻ってくる。
「どう?」
「・・・別に。普通よ」
「あー、でた。妃の普通。ところで何て言われたの?」
「では次、雪下さん」
「あっ、はい」
 慌てつつも音をたてずに立ち上がり、教壇へ。
 急ぎすぎず早足にたどり着くと、
「見直し後も思い込みに気をつけて下さい」
 一息で言い切りながら用紙を手渡す教師に、軽く会釈をして受け取る。
 戻りながら折り畳まれた用紙を小さく開き、赤字で書かれた数字を確認する。
 席について、
「・・・何かしら、その苦渋の表情は」
「・・・全く褒められなかった」
「・・・あの教師は褒めないことで有名じゃない」
「そうだけど・・・うー。・・・妃はどうだったの?」
 折り畳まれた用紙を差し出しながら問う。
「そうね・・・」
 それを受け取り、自身の用紙を渡す。
 互いに用紙を開きながら、
「私は余力は余所へ回しましょう、よ」
 千華の開いた用紙は、整然と並んだ赤字の丸と三桁の数字が小さな枠からはみ出すように書かれている。
「ひゃー、満点でその言われ方かー。すごいね、ある意味」
「・・・そういうあなたも随分良い点じゃない」
「満点様に言われても立つ瀬ないわー・・・って、妃、このプラスアルファって何?」
 評価点を示す数字の右に+αの文字。
「それ?・・・最後の問題、多く答えたからじゃないかしら」
「なにそれ?五個まで挙げろって書いてあったじゃん」
「・・・あなた覚えてないの?テスト中見回りにきた時、阿咲が言っていたじゃない」
「?なんだっけ?」
「最後の問題、多く書けば書いた分だけ補正利かせるって」
「えっ!聞いてないよわたし」
「集中していたものね、あなた」
 用紙を折り畳み、千華へ差し出す妃。
「えー、その時教えてくれてもいいのにー」
 それを受け取り、同じように差し出す。
「試験中は私語厳禁よ。まぁいいじゃない、悪い点数ではないのだから」
「いやまぁそうだけどさぁ・・・」
 腑に落ちない感を出しつつ、戻ってきた自身の解答を眺める。
 と、そこに、
「千華、妃。お前等は何点だったのだ?」
 二人に近づきつつ、不遜な言葉と裏腹に無邪気な口調で質問してくるのは、先程挨拶した少女。
 柔らかな猫っ毛が肩口を撫でる程の長さ、好奇心を包んだような輝きに満ちた瞳。
 手には既にくしゃついた紙片が握られていて、
「あたしはこんなんだが、問題ないでしょ?」
 バンと妃の机に軽く叩きつけられたそれは折り畳まれた箇所も広がり、机をのぞき込んだ千華は、
「おおぅ、これまた絶妙な点数を取ってくるね」
「・・・補習、ギリギリじゃないかしら」
 赤字で書かれた、女性で例えれば妙齢と言わざるを得ない数値。
「あう、補習免れるために望に教えてもらったんだから、それは困るのだ」
 困ったように眉端を落とした少女に、
「・・・平均点次第でしょう。そろそろ配り終わるから発表されるわ」
「・・・うん」
 トボトボと戻っていく少女。
 すると名前を読み上げていた教師の声が止み、たった今受け取った生徒が戻ると教室内は自然と静かになる。
 手元の台帳のような冊子をめくり、目を落とすと、
「えーそれでは今回の平均点ですが」
 言葉を区切り、すぐに二桁の数値を読み上げる。
 即座、歓喜の嬌声と悲哀の呻きが教室にこだまする。
 先程の少女を見やると、ぺかーっという花丸を背負うように満面の笑みで周囲の生徒と会話している。
 視線に気づいたのか、千華と妃の方を向くと、親指を上にして片手を突き出してくる。
 千華は手を突き出して返し、妃はすぐに視線を逸らしてしまう。
 それでも少女はにこにことして、
「但し、平均点以下の方は冬休みの宿題を増やしますので、頑張って下さい」
 その一言に叩きのめされていた。
 それを苦笑して見守るとチャイムが鳴り、教師の言葉で生徒達は席を立ち、或いは座ったまま、思い思いに行動し始める。
 妃は机脇に引っかけていた鞄を胸元に引き寄せ、引き出しをまさぐって書籍を数冊出すと鞄に仕舞い、席を立つ。
「あれ?もう行くの、妃」
「・・・えぇ、だって次は自習でしょう。早く行かないと場所が確保できないわ」
「あ、そっかー」
 と言いながら両手に広げていた雑誌を閉じ、横掛けの鞄に数冊本を入れると、
「そんじゃいこっか」
「・・・そうね」
 千華と妃は並んで教室を後にした。
 
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