閑静、とも言い難い。
 視認できる範囲で数軒しか見えない宅地は当然疎らと呼ぶに相応しく、舗装の行き届いていない路面は空っ風に砂埃を巻き上げている。
 少女達の集まっていたガラス張りの建物からすぐ傍、洋風な味わいを持たせた建物がある。
 オフホワイトの外壁に煉瓦色の屋根が鮮やかで、通りに面して展開された小さな庭には季節を感じさせない芝生が整い茂っている。
 門柵の無い数段の階段を登り、扉に手を掛け、
「・・・・・・」
 たじろいだ様子で手を引っ込める少女が一人。
 それも少しの事、すぐに手慣れた様子で扉を加減良く引っ張り、
「おじゃまします」
 絶妙に小さな声音で挨拶をしながら中へと入る。
 玄関には数足靴が端に並んでいて、真ん中には大きさの異なる革靴が整えて並んでいる。
 そのすぐ脇で靴を脱ぎ抜けると、数歩先にある階段の足下で止まり、見上げて段の続くその奥を見つめる。
 やはりそれも少しの事、すぐに左手へ数歩進み、プレートの掛かった部屋のドアを静かに開ける。
 仄かに柑橘の香りが漂う室内は外壁と同じ色味で、一歩踏み入れると干し草の香りが混じる。
 一歩入ってドアを後ろ手に閉めると、ほんわりと暖かな空調の気流を感じ、
「来たよ、ふわりー」
 声をかけつつ左手奥に鎮座する銀色のケージへと歩み寄ってゆく。
 目の前まで行くとしゃがみ込む。

 ガシャンガシャン。

 中で段差を上下している何かの金踏み音を聞きながら、
「おはよう、ふわり」
 優しく声をかけて、ケージ全面の取っ手を持ち上げて開く。
 すぐに出てくる毛だまりが一つ。
 もはもはと毛玉をなびかせて足下まで行くと、しゃがみ込んだ千華の膝へと前足をかける。
 それはうさぎだった。
 目が隠れる程に生えたオレンジと白の長毛は顔周り全体を覆い、左右真っ直ぐに垂れた耳が特徴的だ。
 上半身は短めの毛が優しい模様を描くようにさっくりと生え揃い、下半身に目をやるとフレアのように長い白毛が広がっている。
 かけた前足はそのままに、顔を高く持ち上げるとふんふんと鼻を鳴らす。
「はいはい、おやつですねー」
 ケージの上部には片手で持てるくらいの竹編みの籠が乗っており、複数の小さな袋が整頓されて納められている。
 それを持ち上げて手元に引き寄せ、手をふらふらさせると、
「よしっ、パイナップルにしよう」
 一つの袋を取り出し、籠を元の場所へ戻す。
 袋の口を開けつつ、
「ほーらふわりー。パイナップルだ、うわっ」
 声をかけているそばからうさぎが千切れんばかりに首を伸ばし、袋の元に口を近づけている。
「はいはい、意地悪しないから大丈夫だよー」
 ゆっくりとした動作で袋から乾燥した果物を取り出すと、手の平に乗せてしゃがんだ膝の高さまで下ろす。
 バッという音が聞こえる程に俊敏な動きで首を下ろしたうさぎは、

 シャグシャグ。

 一心不乱に果物へと囓りつく。
 それを愛おしそうに見やりながら、
「誰も取らないから、ゆっくりおたべー」
 そう話しかけながら、首から背中にかけて優しく撫でていく。
 静寂は窓からこぼれる柔らかな日差しを受けて、微睡むような蕩けた
空気を醸成する。
 目を閉じ、ただゆっくりと撫で続ける。
 すると、トントンと階段を下りてくる小さな音が二つ。
 パッと目を開けた千華は視線だけ動かすが、そのままうさぎを撫で続ける。
 そうして足音は遠ざかり、
「・・・・・・」
 僅かな静寂の後再び足音が、今度は近づいてくる。
 トントンと扉が叩かれる。
 声をあげず、無言のままいると少しの間の後扉が開き、
「あぁ千華か」
 月理が顔を出す。
「・・・ん。おじゃましてるよー」
「や、まぁ別に畏まるもんでもないし」
 そう言って月理が室内へ踏み出すと、後ろから妃が続く。
「ののちゃん元気?」
 二人を振り向かずに、うさぎを撫でたまま声をかける。
 いつの間にか食べ終えたうさぎはそのままの格好で撫でられ続けている。
「・・・そうね、いつも通り元気いっぱいよ」
 妃が答えると、
「そっか。よきかなよきかな」
「来てるなら上来ればいいだろ」
「今はふわりちゃんに会いに来たんだよ。ほーらふわりん、よしよしー」
 両の手をうさぎの額に当て、梳くように上半身へと流してゆく。
 うさぎは膝に手を乗せたまま、目を細めてなすがままとなっている。
「・・・それじゃ、まだ戻らないのかしら」
「んー・・・もう少ししたら戻るよ」
「・・・そう。ご飯も出来てるみたいだし早く来なさい」
「はいはーい」
 二人には振り向かず、空いている片手をひらひらと振る。
 それ以上の会話は無く、布擦れの音の後に扉が開閉される音がする。
 そうして部屋には一人と一匹。
 撫で続ける手はぎこちなく、座りが悪くなったのかやがてうさぎは手を離れ、奔放に辺りへ駆け出す。
「・・・・・・」
 視線はケージ、視点は彼方。
 ぼやけたフィルター越しに覗く世界は何を映すのか。
「・・・結局、なんなんだろうねー」
 観客のいない独白はうわずった声音で。
 陽光に融け出すような薄弱とした吐息は、駆け回るうさぎのケージへ跳び戻る音で霧散する。
 佇む少女の背中は、幾分丸く縮こまっていた。
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