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「あ、戻ってきた」
すぐに扉が開き、軽やかに鐘の音が鳴る。
歩いてきた二人は歩きながら、カウンターが見える位置まで来ると、
「おかえりー」
「おかえりー。千華ちゃんいなかった?」
出迎えの言葉に双様に頷き、
「・・・いたわ。ふわりのところ」
妃が声を発する。
「そっかー」
「すぐに戻るってよ」
そう言いながら椅子を引いて座った月理は、
「しょうが焼きと・・・魚?」
「・・・カサゴだそうよ」
「へぇー。旬なのか」
「・・・千華のチョイスよ」
妃が椅子を引いて隣へ座る。
「はい二人とも。食のお供に何を飲むのかしら?」
にっこりと笑顔を浮かべた笑乃。
「んー・・・炭酸水ある?」
「あるわよー。妃ちゃんはどうする?」
「・・・笑乃さんと同じものを」
「今いれてるのはアールグレイだけど、いいかしら」
コクリと頷く妃を見て微笑むと、手元のティーカップを湯気の立つ鍋に潜らせる。
「千華のやつ、しばらくふわりの相手してんのかな」
「・・・すぐ来るわ」
するとカウンター奥から外を眺めていた唯理が、
「あ、来たみたい」
ガラス窓の向こうを駆け足で横切る姿に、声をあげる。
程なく勢い良く鐘の音が響き、小走りに進む足音。
そして、
「ごめんね、お待たせー」
陳列された品々の間から姿を見せた千華は、
「ご飯冷えちゃってない?大丈夫かな?」
心配の声をあげながら、自身の鞄が背もたれに掛かった椅子を引いて座る。
「大丈夫だよー。まだ出来たばっかりだもん」
「そうよー。あ、千華ちゃんも飲み物紅茶でいいかしら?」
「うん、呑む呑むー」
「・・・漢字が違うんじゃないかしら」
「言葉から漢字の違いを!?」
大げさに反応する千華に、
「なんだまた酒の話か」
「うっさいなー。つきりんは何を呑むんだい?」
「つきりんって言うな。しかも酒じゃなくてただの炭酸水だよ」
「へぇー。何、お得意のコーヒーはやめたの?」
「この飯に合いそうなものを選んだだけだよ。つーかそうだお前、朝のやつまだ根に持ってるんだからな」
「つーん。名前にお前なんて人はいませーん」
「ちっ、屁理屈を・・・」
まだ続きそうな会話を跨ぐように、
「はーいはい、飲み物よ。受け取ってちょうだいね」
そういって笑乃が手に持ったカップを妃、千華と渡してゆく。
その横で冷蔵庫を開閉していた唯理が、手に持ったペットボトルを月理に差し出しながら、
「はい、炭酸水」
「ん、さんきゅ。・・・ん?あれ、銘柄変えた?」
受け取ったボトルのラベルを見やり、笑乃に問いかける。
「あら、言わなかったかしら?懇意にしてる業者さんが最近出たって持ってきてくれたのよー。美味しければそっちに切り替えるから、評価よろしくね」
「ふーん。・・・おい、唯理。お前もこれ飲むだろ」
唯理は少し嫌そうな顔をして、
「えー。わたしは紅茶でいいよー」
「そうもいかないだろう、跡継ぎ娘が。ちゃんと評価しなさい」
「別に跡継ぐなんて言ってないよー。うーん、お母さん。これいつまでに飲んでおけばいい?」
「別に今じゃなくて大丈夫よ。週末までに教えてくれればいいわ」
「はーい。じゃ、今はわたしも紅茶にしよっと」
カップに紅茶を注ぐ唯理の横で同じ様なカップを手に取り、鍋の液体を掬い取る笑乃。
「・・・それ、魚の出汁ですか?」
「ん?そうよー。折角だからスープにしてみたの。ま、前菜扱いね」
手慣れた様子で人数分掬い、
「さ、受け取ってちょうだい」
『はーい』
そうして全員受け取って着席すると、
「じゃ、温かいうちに食べましょう。いただきます」
笑乃の挨拶に倣うように各々挨拶をして箸を手に取る。
するとすぐに、
「うわっ!うわうわ!このカサゴ、脂がのって美味しー」
ほろりと崩れる身をひと摘み口にした千華が、咀嚼を終えると同時に声をあげる。
「わっ、ほんと!このお魚さん美味しいねー」
「そうねー。脂がのってつやつやしてるのに、しつこくなくていいわねー」
「・・・美味しいわ」
女性陣がそれぞれ声をあげて魚に舌鼓を打っている最中、
「・・・・・・」
もくもくと食べ続ける月理。
「うーん、美味しい!・・・む、ちょっと月理。感想は無いの感想は?」
「・・・え?」
問いに、かぶりついていた薄切り肉をかみ切り、咀嚼し終えてから答える。
「って月理、しょうが焼きから食べてるしー!」
箸を落とす勢いで驚愕した顔を見せる千華に、
「や、腹へってたしなぁ」
「風情がないよ風情が。もー」
ぷりぷりと怒る姿に、
「なんだよ悪かったよ。煮魚だろ?味付け次第なんじゃ・・・」
と、魚へ箸を寄せて柔らかくしならせる魚身を持ち上げて、口に運ぶ。
「・・・・・・」
咀嚼。そして、
「・・・旨いな、これ」
「ね!でしょ!?」
千華の声に頷きながら顔をあげて、
「母さん、ご飯ある?」
「あるわよー」
「あ、わたしやるよー」
唯理が棚から小さな椀を出すと、炊飯器から艶めいた白米をすくい上げる。
「笑乃さん。このカサゴ、どう味付けしたんですか?」
「あらこれ?そうねぇ、普通にとしか言いようがないのだけれど」
「後で分量とか聞いてもいいですか?」
「あらいいわよー」
「はい、お兄ちゃん」
「ん、さんきゅ」
椀を受け取った月理はすぐに魚へ手を伸ばす。
それを見た千華は、
「んっふっふ。どうやらカサゴの魅力にとりつかれたようだね、月理君」
自身の箸を持つ手を止めて、にまにまと笑顔を作りながら、
「どうだい、一杯呑むかい?」
片手に持った炭酸水を月理の傍で傾けて、
「・・・やめなさい千華。おっさんくさいわ」
ぴしゃりとやられる。
「うぐっ。いーじゃん絡み酒シチュエーション」
「・・・あと三年もしたら出来るのだから、我慢なさい」
妃の諫める言葉に口を尖らせつつも、自身の席にきちんと座り直す千華。
「ほらな。ふざけてっとほーなるんふぁよ」
口をもごもごしながら因果応報と言わんばかりの月理は、
「・・・月理、食べながら喋らないで」
「月理、お行儀悪いわよ」
「お兄ちゃんきたなーい」
三者三様の注意を受けて、渋い顔で閉口する。
そうして、静かな食事の時間が流れる。
暫くして、箸を置いた月理は、
「ごちそうさん」
軽く手を合わせ、食器をまとめていく。
「おそまつさま。炭酸水、どうだった?」
問いかける笑乃に、
「んー、・・・まぁ美味しいよ」
軽く一言発すると、片づける手は止めずに、
「前のより炭酸が強いかも。軟らかい感じがするから飲みやすいけど」
「そう。大体前よりはいい感じかしらね。あ、そうそう。レモン味もあるから、おうち戻るなら持って行きなさい」
「ん」
短い肯定を打つと、食器をカウンター中央に置いて席を立つ。
「食器は洗っておくからいいわよー」
その言葉に歩き出した足を止め、顔をまだ食事中の千華達の方を向くと、
「じゃ、先戻ってるから」
「・・・わかったわ」
「はいはーい」
それぞれの返事を聞くと、入ってきた扉に歩いてゆく。
やがて出入りの鐘が鳴り、陽の光が降り注ぐ大きなガラス越しに歩いてゆく姿が見える。
その姿が建物の端へと消えると、
「・・・それで」
「ん?」
疑問を返しつつ箸をつけたしょうが焼きを器用に千切り、口元へ運んだ千華に、
「・・・なぜふわりのところに?」
「うぐっ」
嚥下し損なったのか喉奥から呻き、
「!・・・!」
慌てて傍にある紅茶のカップを掴むと、勢い良く飲み干してゆく。
「・・・ぷはっ!けほっ、けほっ」
軽く咳払いして喉を整えると妃を睨みつけ、
「ちょっと妃、変なタイミングで変な事言わないでよ」
「・・・タイミングは悪かったわね。でも内容は変な事ではないわ」
「うっ」
たじろいだ千華。
「・・・普段、一人でふわりのところに行ったりしないでしょう。それがなぜ?」
純粋な質問にも追い込む詰問にも聞こえそうな声音をあげる妃に、
「・・・んー」
曖昧な生返事を返しつつ、しょうが焼きを先程の月理に負けないくらいの速さで食べていく。
幾許か。
すっかり綺麗に食べ尽くした皿を満足気に見やると、
「ごちそうさま!美味しかったです、笑乃さん」
「あらお粗末様。お皿はそのままでいいわよー」
手際良く皿をまとめてカウンター中央に置いて席を立つ。
「・・・ちょっと千華、」
「あれはね!」
再度の問いかけを遮るように声をあげ、
「ふわりんのかまってオーラをビビビっと受信したからなのだ!」
先程のうさぎがいた方角をビシッと指さして、
「という訳で、私も先行ってるよー」
そそくさと出入り口へと向かってしまう。
すぐさま鐘が鳴り、足早に通り過ぎてゆく姿をガラス越しに見ていた妃は、
「・・・うそつき」
視線は上げずに食事へと戻ってゆく。
穏やかな冬の日差しはその小さな呟きを溶かすように、ゆるやかに暖気を振りまいていた。
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